ひとり言

思考をしっかり言葉にするために

 

文春オンライン 

 

思わずというか前後の文脈など気になってしまい「ごんぎつね」を読んじゃいました。なんとなく話は分かっていても碌に勉強をしない子どもだったので、恥ずかしながら懐かしさよりも、初めてしっかり読んだんじゃね?という思いが強い。

葬式を知っているかどうかではなく、国語力以前の突飛な発想をする子どもがいるんだそうで。私の頃より今の子どものほうが勉強できると思っているので、どの辺の学力の子の例なのだろう、ちょっと主語が大きいのでは?とも思います。警鐘を鳴らす意味ではそれくらい言ったほうがいいのかもしれませんが。

 

 あらゆることを「ヤバイ」「エグイ」「死ね」で表現する子供たちを想像してみてください。彼らはボキャブラリーが乏しいことによって、自分の感情をうまく言語化できない、論理的な思考ができない、双方向の話し合いができない――極端な場合には、困ったことが起きた瞬間にフリーズ(思考停止)してしまうんですね。これでは、より問題がこじれ、生きづらさが増すのは明らかです。

引用:『ごんぎつね』の読めない小学生たち、恐喝を認識できない女子生徒……石井光太が語る〈いま学校で起こっている〉国語力崩壊の惨状 本文より

 

思考は言葉で行うので言葉を知らないと思考も粗雑になるし、感情も犬猫みたいに単純になります。何がわからないのかが説明できず情緒もおかしくなるから、自分で自分がどう思っているかを詳しく言い表せるくらいの教育は必要という話です。

 

子どもに限らず、思考や感情を上手く言語化できない人をネットで見かけることがあります。

文章は短文になり、句読点も使わなくなり、スタンプで簡単に感情を表現できたり、簡潔で楽で一見すると合理的かもしれないけど、意図が正確に伝わらなかったり、言ってもいない解釈をされたりとトラブルに繋がる場合もあるようです。

 

私も思考が断片的だったりして、なかなか文章がまとまらずに困ることがよくあります。まとまらないと、どんどん硬い文章になる自覚もあってもっと遊び心が欲しいなと思ったり。

本を読んで語彙を増やして、それらを使ってみたり書いたりして表現してみるの繰り返しですかね。

では、また次回。