今日は二の丑。
立秋の前18日間を「夏の土用」と呼び、1回の土用の中で2回目に巡ってくる丑の日が「二の丑」となります。二の丑は毎年あるわけではないけど、この日も当然「土用の丑の日」なので「うなぎ」が縁起物として食べられるそうです。
今年は一の丑(と呼ぶのかはわからない)も二の丑もうなぎを食べていません。物価高の波はうなぎにもあるようで数百円くらい高くなっていたような気がします。
スーパーのものですら手を出そうと思わないので、うなぎ屋に寄るなんてこともありません。
昔は安価で食べられたうなぎだけど、今では高価なイメージがつきました。うなぎ屋の「特上・上・並」や「松・竹・梅」の違いは「うなぎの質」ではなく「うなぎの量」の違いだそうです。(例外的な店もあるかもしれないけど)養殖と天然、日本産と中国産などの違いもないみたい。
もう1つ、「松竹梅」も元々は優劣がなかったそうです。
優劣のない「松竹梅」がなぜセットになっているかというと「歳寒三友(さいかんさんゆう)」と呼ばれる言葉があり、「歳寒」は寒い時期のことで”冬”のこと。その冬の3つの友達が「松竹梅」だとされています。
植物には厳しい寒さの中、松は緑を保ち、竹は青々と伸び、梅は冬に耐えて春にはいちはやく早く花を咲かせます。中国では古くからこの「松・竹・梅」の3つを清廉潔白の象徴として文人画で好まれる画題のひとつなんだそうです。
「歳寒三友」の考えは平安時代に日本へ伝わり、いつしか「松竹梅」はめでたいものの象徴として扱われるようになりました。
「松竹梅」がなぜランク付けに使われるようになったかというと、日本人ならではの心理から生まれたようです。「並」という1番下のコースを注文することに抵抗を覚える人がいたので、「特上は松、上は竹、並は梅」と呼べば気兼ねなく注文できるし、響きも風流であるからと寿司屋などから用いられ広まっていったといわれています。
「特上は松、上は竹、並は梅」という序列になったのは諸説あり、ひとつは単純に「松竹梅」の順番で呼びやすいから。人気店は行列になり待たされるので「松・竹・梅(まつたけうめ)」を「待つだけうめぇ」という江戸っ子の洒落があったとか。
もうひとつは、「松竹梅」が縁起ものとなった時代順。松が縁起のよい木と考えられるようになったのは平安時代からで、竹は室町時代、梅は江戸時代からといわれ、時代順にならって順番が決まったという説もあります。
私は見たことないけど、梅を最上級に設定しているお店もあるらしいので一応金額は確認したほうがいいらしいです。
では、また次回。