母を連れ個展で絵を見て、山道をドライブし道の駅へよって買い物をし、夜は中秋の名月を見ながらYouTubeでストレスから解放されるだとか自律神経を整える系の音楽を聴いてぼーっとしています。
疲れている?病んでいる?そう思ってしまうと、ずるずると不安に引っ張られてしまう。
無くなったら買いにいくのが面倒という理由で、常備してあるお茶を飲むのを控えている。
節約しているとか何か目的があるならまだしも、やりたくないから自分を制限するって思考はヤバイのかもしれない。この思考がまたヤバイのではと思い込むと、不安でおかしくなるのだろうか。
「真上を見て」思考を止める
応急処置的だけど、真上を向いて、口をパカっと開けてぼーっと音楽を聴いていると、不安やイヤな感情がぐるぐる回る思考、いわゆる反芻思考が止まります。
視覚情報がシャットアウトできたり、首の圧迫感が気になって思考が阻害されるので、真上を見るのは理にかなった思考停止法の1つみたい。
ネガティブを受け入れる
幸福度が人生の価値を決めると考える人は、ネガティブな感情を抱くことを避ける傾向にあります。
「ネガティブな感情を抱くと人生の価値が下がる」と考えてしまい、落ち込んだり不安になったりしないよう自分に強いプレッシャーをかけていたのです。
一方、将来の幸福のために1日1日最善を尽くして行動する人は、逆にネガティブな感情を避けようとしていませんでした。
現在の幸福を過度に求めないので、「落ち込んだり不安になったりすることはある」と考え、一時的にそのような感情を抱くことがあっても、「人生の価値は下がらない」と感じていたのです。
この結果から、意図的にネガティブな感情を抑制または回避しようとすることが、幸福度を下げると分かります。
私たちが本当の意味で幸せになるには、ネガティブな感情を受け入れるべきだったのです。
気にし過ぎもよくわけですね。受け入れろと言われてもなかなか難しいことではあるけど、頭の中で考えているだけでは何も変わらないのも事実。
無理やりポジティブになんてなれませんからね。事実があってそれを受け入れるだけでいいじゃないかというわけです。不安を感じたとしても、その不安は絶対ではないと思って決めつけないことが大切だと思います。
お茶じゃなくて、水も案外美味いものです。
では、また次回。