ひとり言

信心深いではなく自己満足とひねくれてみる

祖母の月命日にお坊さんがお経を唱えに来るので、前日に仏壇周りを整え綺麗にしています。その中で1番手間なのは、線香立ての灰の手入れ。

手間というほどの手間ではなく、燃え残りを100均で買った燃え残り取り(茶こしの網目が大きい感じのもの)と割り箸を使いながら取りながら灰をふるいにかけるのだけど、乱雑にするとすぐ灰が舞い上がるので少し集中しなければなりません。

 

ちょっと寒かったので仏間から線香立てをわざわざ暖かい自分の部屋に持ち込み作業しようとしたところ、蛍光灯の違いか灰の色が変な気がしてなんだか不安になりました。

灰って交換するもの?と思って検索すると、年2回交換しようなどと商売っ気たっぷりのところもあったけど、さらさら感がなくなったり灰が固く感じたら交換するくらいできちんと手入れをしていれば問題ないみたい。

ついでに手入れの仕方を見ていると、案外私のやり方って正しいどころか丁寧すぎなんだと得意げになりそう。

毎月、1本も残らず燃え残りを取り去り、灰をふるいにかけてさらさらにして手入れをするのは、そのほうが整って綺麗に見えるを追求しただけで、神様やばーちゃんが見ているからとか信心深いからちゃんとしたわけではありません。

 

むしろ他人の目や自己満足で動いている俗な人間でございます。仏壇を綺麗にしているから何かいいことあるかなと思わないだけまともでしょ。

では、また次回。