ひとり言

既視感と罹る前提

テレビのニュース速報にオミクロン株が県内で初確認と出たのを見て、ついに来たか……と初めて県内や市内で新型が確認された時の既視感のようなものを覚えた。

デルタのときはどうだったかな。速報を目にしなかっただけかもしれないし、流行がおさまらずどんどん次の株へと連続性があったから感じなかったのかもしれない。(名前がカッコイイとかいってた気がする。)

今回は感染者がかなり減ってからの第6波で、しかも新しい株だからこんな気持ちになったのだろう。

 

日本で、県内で、市内でと、徐々に迫ってくる感じはそりゃイヤだけど、以前と違うのはもうそこまで「得体のしれないものではない」ということ。

罹ったことないから大丈夫だろうとバイアスがかかっているけど、コロナウイルスは無くなるものではないし、マスクや手洗いなど基本的にするべきことに変化はない。

ワクチンを2回接種し重症化に至らないための対策をし、情報が集まってこのウイルスがどういうものかもわかってきている。

 

にも拘らず、感染者数煽りとか未だに同じ報道の仕方を見ていると、進歩してないなぁ知らせるところってそこじゃなくない?なんで振り出しからなのだろうと不思議に思います。

視聴率のためというよりは、大したことないと下手にいって責任を取りたくないだけだろうけど、数字と事実に基づいてするべき報道してほしいものです。

 

拡大の速度が気になるし、ワクチン接種率が約8割なのにどんどん罹っていることを思うと、油断するつもりはないけどいつ罹ってもおかしくはない前提で心構えしておくとしよう。

withコロナっていってるくらいだから、ずっと付き合ってくいくものでしょうし。

 

今、広がっているのは全部オミクロンではないんだっけ?と思ったら、少し頭の中がとっ散らかってきた。

では、また次回。