時間はあったのに書けない
これ書いた次の日は仕事が休みだったので、
この記事を1つ午前中にあげて、有言実行したわ午後にも1、2本書けるわなんて思っていました。
でも、書けなかったです。
胃をわしづかみにされている感覚が、ずっと続いていました。
なんだこれ?
むしろ1記事書いて、すっとした気持ちと勢いで次に取り掛かれるはずだと。
書きたいネタはなんとなく浮かんでいました。
けれど、書けずに1日が終わったんです。
胃を掴まれれている感覚のまましばらく考えて、これだろうって理由が浮かびました。
ブログ楽しくねえな
あー、これだ。
コレコレ「楽しくない」
世の中に溢れているブログ論に、いつの間にか流されていたわ。
オレまだそこを考えているレベルじゃねえよ。
もう少し考えてみました。
稼ぐのだから、甘えたらイカンと割り切ろうとした
お金を稼ぐからにはそれくらいやって当然でしょ、甘えてんじゃねえよ。
ブログで成功している、またはがんばっている大半の人は思うのかな。
お金を自力で稼ぐって大変だよね。
お金稼ぐのは簡単だよっていう天上人は言いますけど、成功してないからそんな気持ちはわからん。
だからって、楽しくなくてもやれってのは違うよね。
仕事が終わった後に、また仕事している感覚。
豊かになるためだー、稼ぐためだーと自分に言い聞かせても、しっかり体が拒否してた。
これ続けても稼げる記事内容でもないし、胃に穴が開くのが先かブログ止めるかの差でしかないなって思いました。
書いた記事に自分は何%入っている?自分の意見が無い
スキル無いし、知識ないし、言えることなんて成功者の受け売りしかない自分が、有益な記事を提供し続けようなんておこがましい。
有益な情報?調べて改めて文字面を変えたって、初心者の私が書いたものってそこらコピペみたいなものでしょ。
調べてしっかり書こうと、義務感に囚われて、完璧じゃなくていいと言いつつ、無意識に完璧を目指していたわけ。
調べたり整合性を考えたり、自分なりに一生懸命やった結果、出来たものはつまらない記事。
私が言わなくても、わかりやすい記事が調べれば出てくるもん。
「過去の自分を助けるために書こう」って言ってることはわかるけど、助けようと調べれば調べるほど、あれもこれも書いたほうがいいとなって、自分というものが消えていったわ。
もっとその時の自分に起こっていたことを、面白くとはいえないけど、たくさん書くべきだったんだなぁ。
読者はゼロからマイナスにならない
これとてもいい言葉。
どこかの自分の記事にも書いたけど、
0からマイナスにはならないから楽しんで書いたほうが絶対いいわ。
小さく変わろうとかいっといて、自分が完璧を追い求めて背伸びしていたら世話ないです。
しばらく書きたいこと書きます
まずは自分が楽しいかどうか。
日記みたいになるかもしれないけど、書きたいことを書きます。
何か疑問に思ったこと書きます。
調べたりもするでしょうが、意見が間違ってもいいか「自分はこう思う」を大事にします。
結果的に誰かの役に立っていたらいいんじゃない。
たまに良いことをいいたくなったら、たくさん調べてみます。
稼いで書き続けようなんて両取りは、まだ早かったです。
自由に書きます。思うがままに書いてやるです。
では、また次回。