ひとり言

愚痴っても自己責任で返ってくる

何でもいいから書けと言われたら書けそうなものです。

しかし、思いつくことが愚痴しかないと「こんなの読んで面白いかな?」と躊躇しちゃいます。

職場のトイレ問題とかゴミの話、利用客の民度の話、梅雨に入ってくると虫がでてきたりして、愚痴るネタには困りません。

特に最近のトイレ事情が酷くてですね、

利用客がクソ・万引きが多くてクソ・店長の判断がクソetc・・・とクソクソクソのオンパレードなのですよトイレだけに。

詳細に書いて愚痴ったろとも思ったのですけど、愚痴ってもどうせ変わらないんですよ。

逆に、そんなトコ辞めればいい、そこで働いている私が悪いなど、自己責任でしょって返ってくるわけです。

自己責任だよなぁと思うと、愚痴の話ばかりを書いてもイマイチ自分が面白く感じないかも。

一応人間なので、たまに腹に据えかねる愚痴った記事があっても許してください。

でも、愚痴る原因の出来事は気になるけど、それを解決できずに愚痴るだけで終わるのは如何なものかと思うのです。

そういうことあるよねと、日本のどこかの愚痴にどこかの人が共感してくれるかもしれない。

ですけど、ただ愚痴を垂れ流すのもなぁ(トイレだけに)と思いながら時が過ぎてしまいました。

 

愚痴ったところで自己責任と思うことは、過去の自分の選択を否定しているわけです。

そこで働くと決めたのは自分だし、他人にどうこう言われても最終的に決めたのは自分のはず。

私の場合は、何もしない、なんとかなるという楽な選択をし続けた結果です。

何もしなかったので、自分だけのスキルと言えるものが無く、替えの効くような誰でも就ける職にいるのです。

嫌なら辞めればとなりますが、生きていくために簡単にはい辞めますとはいきません。

辞めたいけど、辞めない選択をして我慢しているから、愚痴が出てくるのでしょう。

愚痴ったところで、他人や状況が都合よく変わることは無いです。

愚痴を言った分だけ、自己責任という答えと同時に虚しさや苦しさが積もっていくだけ。

愚痴るくらいなら、簡単なことではないけど少しずつ自分を変えていくしかないです。

 

「こうなってしまったのは自己責任だ」とわかった上で、何かを変えよう始めてみようとブログを書き始めました。

だが、ブログも「まず書きたいことを書いて書くことに慣れよう」みたいに思って、楽な方向へ逃げる選択をしているのかもしれない。

有益な記事とは何ぞやと思っているくらいで全然うまく書けないので、

せめて毎日何かを書こうと毎日更新を選択しなんとか続いている状態です。

たった2ヶ月しか経っていませんし、今後どういう形でブログが続くかもわかりません。

色んな選択肢がでてくるでしょうけど、どの判断も自己責任です。

ブログなんて書くんじゃなかった、何も変わらなかったと愚痴ることは無いようにしたいですね。

では、また次回。