ひとり言

納豆の日だけど、苦手を語る

本日7月10日は「納豆の日」、なっ(7)とう(10)の語呂合わせで1981年に関西納豆工業協同組合が制定し、1992年に全国的な記念日として全国納豆工業協同組合連合会によって改めて同日を納豆の日と制定されました。

 

納豆の日に納豆のことをわざわざ書くということは、好きか苦手かどちらかになることでしょう。

 

私は超苦手です。

 

納豆の何が苦手かと問われると、ネバネバ、ニオイ、食感、味などいわれますけど、全部というほかありません。

家族は納豆が好きなので、洗い物に納豆のネバネバが付いた茶碗が出てくるんですが、スポンジが汚れてしまうなぁと、スポンジの心配をしてしまう。

できる限りネバネバを水でかけ流し、しかめっ面しながら最後に納豆茶碗を洗います。

山芋やオクラは食べられるので、ネバネバ自体がダメではありません。納豆だからダメなのです。

 

苦手なものはと聞かれれば正直に答えるけど、納豆を好きな人は毎日のように食べるので「なんで食べられないの?」と、好きであることが当然のような圧を感じることがあります。

他の食べ物で、少数の人が苦手なものはあるはずです。クセがあるよねとか、苦いよね、わかるわかる。で、だいたい話が終わりそうなものですが、納豆の場合は、今度食べてみる?おいしいのになどといって、食べさせようとする率が高い気がする。

おいしい、体に良い、安いという風に、納豆好きからしてみたら「食べなきゃ損」と親切に勧めてくれているかもしれないが、納豆の正義を疑わずに迫る姿勢に私は応えることができません。

 

歳を重ねると味覚が変わり、今まで食べられなかったものが食べられるようになることはよくありました。

体が受け付けないだけで納豆の良さは一応理解しているので、5年~10年くらいの間隔でたまにチャレンジして食べてみますが、未だにおいしさはさっぱりわからず、うぇ~いつもの納豆の味だ~と涙目で敗走しています。

 

まずは食べられたというきっかけが必要だとばかりに、次は納豆フライだなんだと別物にしてみようと思ったりしたけど、普通(?)のものでなければ意味が無いような。そこまでして合わなかったら、もう何しても食べられないでしょう。

ひきわりにして、タレ以外にもたまごやカラシ、ネギなど入れて、味をごまかしながら徐々に慣らしていくと、いつの間にか食べられるようになったりするとかしないとか。

そこまでして食べたいと思ってない以上、納豆を克服する日は遥か彼方、いや来ないだろう。

 

空腹の状態で、おいしい納豆しかない状況にすると食べられたりするかな?

では、また次回。