ひとり言

不幸を願うイヤな自分

いつくらいから思い始めたのだろう。

突き詰めていけば、ブログを始めてアレコレ考え出してからなのか、ブログを始める少し前「このままでいいのだろうか」と思い始めた時なのか、それよりもっと前から実は思っていたのか。

イヤな性格になっているなと自覚し始め、イヤな自分をキライになっている自分がいる。

 

端的にいえば、人の不幸を願っている自分に、そんなこと思っちゃダメと言い聞かせて生きているというか。

人の不幸を願うなどとぼかしてはいるけど、割と直接的な言葉で思っています。(NGワードが云々あるので書けないだけで)

不幸を願っているのに、そいつらの落とすお金で私の給料が出ていると思うと、とても気持ちが悪くなることがよくあります。

 

イヤな自分に気づいてしまう人は、「理想が高い人」に多い傾向なのだそうです。

完璧な自分を追い求め、完璧を他人にも求めてしまう。

自分は他人のために行動しているのに、周りはわかってくれないとか。

 

でも、私が求める他人の行動は、そこまでたいそうなことを求めているわけではありません。

過剰なクレーマーはさておき、ポイ捨てしない、商品をダメにしない普通の取り扱いをする、店内でガムはかないとか、小学生でもできるようなこと。

子供でもいけないとわかるようなことを求めるのは、理想が高いことなのだろうか。

 

今年になって2回ですよ。

駐車場で、ヒトの排便を片付けたの。

2回とも極端に隅っこではなくて、道路から見えるような位置に。

犬の類かと思ったけど、30cmオーバーなのでヒトじゃなければどこかでクマ飼ってるのだろう。

そりゃ、心が荒んでいくってものです。

願いますよ、不幸を。

 

辞めればいいって話に最終的になるけど、我慢しつづけ楽なほうへ逃げてしまったなぁとも思っています。

不幸を吐くヤツがいる程度の店だから、そんなんばかり来るんだろと思うと、たしかにその通りだわとイヤな思考がループするんですよね。

いろいろあってタガが外れてしまい、心の中から汚い言葉が垂れ流しになっているので、口に出さないようにホント気をつけよう。

では、また次回。