「やればできる子」とよく言われてました。
ようするに「やらない子」でした。
何も努力しなかったからなぁと、昔の愚かさを後悔しているものの、
子供の頃は理解せず「やればできる」を言い訳にし続けてきたわけです。
「やればできる」が通用したのは、学生のテストまで。
小学生は順位は出ませんでしたが、通知表はおそらく「中の下」か「下の上」
中学生の学年成績も下から数えた方が早かったです。
家で勉強しなかったですね。ゲームばかりしてたと思います(笑)
高校生の時は、特進クラスと普通クラスで授業内容に差がある私立高校でした。
普通クラスは授業を真面目に聞いていれば、テストの点が勝手に取れていました。
受験と違って、学校の中間・期末テストって出題範囲が決まっているし、
勉強した分だけ点数って簡単に上がるものですよね。
中学生の時、何かの気まぐれで勉強した時があって、
たしか自習になった時にみんなが適当に過ごしている中、
1人黙々と問題を解いていて(人と違うことをしようとする癖があったかも)
その直後のテストは点数がよかったり。
高校の授業は、聞いてノート取れば成績が上がる程度の学校でした。
裏を返せばそれが出来ない・しない人が多い偏差値の低い生徒が多いので、
相対的に普通クラスでは成績上位になっていました。
大学にも行かせてもらいましたが、1浪しなんとなくFラン大学に入って、
なんとなく過ごしただけでした。
両親に申し訳ないですが、こうなろうという信念や目標、やる気が無かったです。
大したこともせずに、なんとかなってしまった経験が「やればできる」
という言い訳に繋がってしまいました。
「やればできる」を言い訳にして、何もしないままなんとなく過ごすと、
生きる選択肢が狭くなるんですよ。
だって、「何もしてないから」「何もできない」当たり前の結果ですね。
そうなると、職業が限られ、誰にでもできる内容で薄給だったり、
肉体を酷使する職業や常に募集が掛かっているブラック企業だったりと、
年を重ねるごとに自分のできること・やりたいことが減っていき、
誰にでもできる仕事しか選択肢が残されていない状態になります。
現状のヤバさに気づいた時は、だいぶ切羽詰まった時かもしれません。
言い訳にしてきた「やればできる」をやろうとしても動けなくなります。
今まで動かなかった人間がいざ動こうとしても、動き方がわからないからです。
こんな自分に今さら何ができるんだろう、失敗したらどうしようと不安な感情で
「やればできる」以外の別の言い訳を作って逃げ道を作り出してしまいます。
「やればできる」と他人に言われたら、うざいって思う時もあるでしょう。
自分のことを理解せずに、適当に言われただけかもしれません。
少なくとも、何か行動を起こしているように見られていないから、言われるんです。
そこで話を流すのではなく、たしかに今遊んでいるだけかも・・・と
自分を見つめ直してみてください。
そして興味がある、興味を持ったもの何でもチャレンジしてみましょう。
まだ間に合うはずです、言い訳としての「やればできる」ではなく、
思い込みや信念をもった「やればできる」を心掛けてみてください。
読んでいただきありがとうございました。